1950年〜1960年は、米ソが競って核実験を行ないました。第五福竜丸という漁船は、ビキニ環礁沖で操業中に、水爆実験が行なわれ、被ばくしてしまい、2番目の核兵器による被害を、またもや日本が受けました。そのときの核実験の放射性物質は、世界中に飛び、いまでも残っています。そして、核実験さなかの、東京やつくばの放射性セシウム137(半減期30年)の量は、現在の1000倍から10000倍にも及んでいたとの事です。日本では、このときに多くの子ども達が産まれ、土にまみれて遊びながら育ちましたが、がんの発生率が高くなったという事実は見いだされていません。このことは、日本放射線影響学会のホームページに、詳しくわかりやすく記載されていますので、参照してみてください。
http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/rb-rri/gimon.html