2012年3月12日月曜日
326 放射能禍の中で農業を続ける意味とは
昨日、講談社現代ビジネスのコーディネートで、ジャーナリストの田原総一郎さん、津田大介さんが司会進行を努めた、「福島と日本の未来」に出演しました。最後の部分で、田原さんが、”なぜ、このような困難な状況なのに農業を続けるのか?”と問われ、地元農家の方は、”ここは、もともと農業には適していないところなのですが・・・”と。そのとき、一つのことが思い出されました。これまでにおうかがいした東北の農家の方々の言葉です。皆さん、福島の農業を本当に心配されておられ、なんとか助けられないかと思っておられるのです。だから、その地域で安全宣言をするのは、福島の人たちを踏み台にしているようで申し訳が立たないと、憤られておられました。そのことを思い出した時、グロバリゼーションという時代の流れですから、福島から農業が失われることは、東北から、そして、日本から農業が失われていくことにつながるのではと、思いました。そして、これは、日本人のアイデンティティー、つまり「生き方」が失われることにつながることになると思いました。座談会の後で、農家の方とお話ししたところ、農業をすることは、「生きる」ということ、そして、そもそも農業を営利的に行なうには困難な地域で新規就農される方がいらっしゃるとおうかがいし、農業や漁業は、食料確保のための業だけではなく、私達が生きるために必要なものなのだと確信しました。私もそうですが、多くの方は農業や漁業には従事していません。でも、私達の心のよりどころとなっているのが、農業であり、漁業なのではないのでしょうか。農家、漁業者は、私達の根幹にある「生き方」を代行してくださっているのではと感じました。だから、放射能禍にある地域でも、農業、漁業を続けることが大切なのだと思い、今後も計測支援と放射線の基礎知識をお伝えすることをしっかりしていこうと思いました。計測をして、国の基準値を超えなければ、食卓にあげることができるのですから。